ねているときいがいねむい

ねているとき いがい ねむい

人には人の乳酸菌

2023年6月〜8月のこと

ファイナンシャルプランナーの試験をサボって海を見に行った。海はベランダからも見えるけど、海沿いの道をクロスバイクで走り、18キロ先の海まで来た。

ここのところというかしばらくずっと無気力でどうしようもない。何か資格でも取るかとFP3級の試験に申し込んでみたものの全然頭に入ってこなくて、問題集を3割くらい解いたところで放棄した。将来の先行きが見えない状態で住宅ローンとか学資保険とか言われても、自分とは関係ないしな…とだんだん腹がたってきて無理だった。フルーツパフェを食べて帰った。

 

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ランジャタイ国崎七変化のオブジェみたいな石

 

2023年7月、夏のど真ん中に父は亡くなった。65歳。病気が見つかってから僅か4ヶ月だった。

3月上旬、父が肺の痛みを訴え、かかりつけの町医者に診てもらう。すぐに大きな病院を紹介され、精密検査を受けると肺にがんが見つかった。既にがんは肺だけでなく肝臓、リンパ、脳にまで転移していて、この時点でステージ4、所謂「末期がん」であると宣告を受けた。

入退院を繰り返しながら抗がん剤治療を続け、一時期は食欲もだいぶ回復し「今日は寿司パーティーだ!」と父から電話がきた日もあった。父が「寿司パーティー」という言葉を使うのが面白かったし、元気な声が聞けて嬉しかった。

7月2日、夕食後突然てんかんを起こし救急車で病院へ搬送された。意識不明の状態でHCUに入る。

7月4日、主治医から家族に話があるということで、私も仕事を休んで帰省し、母と兄と一緒に病院へ向かった。そこで父の余命が1〜2ヶ月であることを告げられた。母は声にならないような嗚咽を漏らし、がっくり肩を落としていた。母の背中をさすり、手を握って医師の説明を受ける。「これ以上抗がん剤治療を続けることはできない。病院としては手を尽くした。今後緩和ケアに移るか自宅療養に入るかは家族で話し合って決めてください」という内容だった。言葉を文字にすると冷酷だけど、優しくて良い先生だった。母が最後は自宅で看取りたいと言ったので、兄と私もそれに同意した。母への負担が心配だったけど、たとえ心身を擦り減らしたとしても母はそうしたいのだと思ったし、私も介護休暇をとれないか職場に掛け合ってみるということで方針がまとまった。

HCUにいる父に会いに行く。ベッドに横たわる父の目は開いていて呼吸も穏やかだったけど、視線は斜め上を向いていて、呼びかけても反応がなかった。時折手を握り返してくることがあって、わかる?帰ってきたよと言うと、さらに強く手をぎゅっと握り返してくれた。嬉しくなって医師に「わかるんですかね?」と聞くと「手を握ったり視線が動いたりするのは本人の意思とはかかわらず出てしまうてんかん症状のひとつかもしれないです」ということだった。

本当は意識があって伝えたいことがあるのに言葉だけが出ない状態なのか、朦朧としていて完全に「無」の状態なのか。父の中にどういう感情が渦巻いているのかわからなくて怖かった。ただ面会中ずっと静かだった父が一度だけ、はっきりと兄の名前を呼んだ。弱々しくも、けれど確かに兄の名前を呼んだのだった。父の声を聞いたのはそれが最後だった。

 

7月14日、早朝に母からの電話で父が亡くなったことを知る。その翌日から1週間、休暇を取って帰省するはずだったのに、間に合わなかった。あと1日、父は待っていてくれなかった。「今お父さんに変わるからな」と言って母が電話を父に向けたので呼び掛けてみたが、死んだ父からの応答はなく、涙がぼろぼろ溢れて止まらなかった。

すぐに帰りの航空券を手配する。山形、仙台、福島行きはもう取れなくて、岩手経由で帰ることにした。新千歳空港から飛行機で花巻空港、タクシーで花巻空港駅に向かい、そこから在来線で北上駅、新幹線に乗り換えて仙台駅、さらに高速バスに乗ってようやく山形駅に着いた。朝出発して家に着いたのは夕方過ぎだった。途中、飛行機の席を間違えて座ってしまい人に指摘されたり、機内に財布を忘れて降機後CAさんにフルネームを大声で読み上げられるなどした。

実家に着くと、家の前に停まっていた車からギャルの母ちゃんが出てきて、ここの家の住所って何だっけ?と聞かれた。住所を伝えると、ギャルの母ちゃんは手のひらにX-XX、X-XX…と番地を指でメモする動作をしながら、馬鹿だからすぐ忘れんのだと言って笑った。つられて私も笑った。そこでその日はじめて肩の力が少しだけ抜けた気がする。ギャルの母ちゃんは「呼び止めて悪いっけな、早く父ちゃんの顔見に行ってこい!」と背中を叩いてくれて、急いで父のもとへ向かった。

仏間に横たわる父はとても穏やかな顔をしていた。最期はモルヒネも打たず眠るように息を引き取ったという。触るとひんやり冷たかった。シワやシミもなくつやつやの肌で、父はおじいちゃんになる前に死んでしまったんだなあ…と思った。孫の顔を見せてやれなかったという意味よりも、年齢的にもっと長生きすると思ってた。何も憚らず素直な気持ちをさらけ出すと、父に生き返ってきてほしい。老後の暮らしを存分に楽しんで85歳くらいでコロっと死んでほしい。

ひとしきり泣いたあと、さっきギャルの母ちゃんに会ったことを母に伝えると、父の訃報を知ってすぐに顔を見にきてくれたらしい。ギャルの父ちゃんは「実の兄貴が死ぬより悲しい」と言ってぎゃんぎゃん泣いていったそうだ。「ギャル」というのは中学のときのバレー部の友達でクラスも同じだった。一度夜中にギャルとギャルの母ちゃんがうちに押しかけてきたことがあった。寝てたら突然電気をつけられて、そこにギャルが立っていた。寝起きで状況を理解できずにいると、ギャルに「寝てていいよ」と言われ、そのまま寝た。翌日、ギャルは普通に登校していて特にその話もしなかった。あとから事情を聞くとギャルの父ちゃんと母ちゃんが喧嘩して家を飛び出してきたらしかった。当時からなぜか親同士の方が仲良しで今でも関係性が続いている。

 

一級建築士の父は手先が器用でものづくりが得意な人だった。小学生の頃、家の廊下に突如跳び箱が出現したことがあった。体育が苦手な兄のために父が手作りしたものだった。跳び箱は兄の部屋の扉の前に設置され、跳び箱を飛ばないと部屋に入れない仕組みになっていた。ところが兄は跳び箱をよじ登り、飛ばずに部屋に入っていた。関係のない私がぴょんぴょん飛んで楽しんだ。廊下に鉄棒が設置されたこともあった。兄は当然のように鉄棒の下をくぐって入室し、私が逆上がりの練習に使った。

ものづくりの他にも趣味が多く、中でも釣りはずっと好きだった。私が生まれるときも父は釣りに行っていて母は一人で出産したそうだ。ギャルの父ちゃんを含む釣り仲間とプレジャーボート共同購入し、週末になるとしょっちゅう海へ出かけてはクーラーボックスいっぱいに魚を詰めて帰ってきた。

納棺の副葬品としてギャルの父ちゃんが木彫りのマグロをつくってくれた。両手の上に乗るくらいの大きさで、表面はすべすべに磨かれていた。ギャルの父ちゃんが一晩かけて磨いてくれたのだろう。棺に金属は入れられないとのことで、私は竹の棒で釣り竿をつくることにした。釣り針の結び方を参考にするために父の部屋へ行くと、手作りのルアーがその辺に転がっていた。父はシリコンで型をつくってそこに金属を流し入れ、塗装してホログラムのシールを貼り、目玉をつけて針の角度を調整する…みたいな工程を繰り返し、ルアーを量産していた。余裕で100個以上つくっていたと思う。私が高校生くらいのとき、父が解体現場からもらってきた蛇口を鍋で溶かしていたのを覚えている。あれ面白かったなあ。

小学生のとき、森にカブトムシを採りに行って父が現場用の投光器をビカビカに焚いて虫を寄せ集めようとしたけれど一匹も採れなかったことがあった。後日、父の知り合いの業者から敷地にカブトムシが大量発生している情報を聞きつけ、早朝から閉まっている柵を飛び越えて業者の駐車場に侵入した。これ大丈夫なの?と尻込みしながら父のあとを追う兄と私だったが、コンクリートの地面の上に本当に笑っちゃうくらいカブトムシがうじゃうじゃいて、意味わからんと思いながら虫かごに詰めて帰った。そのことをなぜかふと思い出した。

父との思い出はここには書ききれないほどたくさんある。本当に大切な思い出は自分の中にしまっておこうと思う。

 

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寺のしきたりで、通夜は葬儀場ではなく自宅で執り行った。線香の火を絶やさないように母と兄と私は、父のいる仏間で古いアルバムを見て夜を過ごした。父と母の高校時代のアルバムに2人の若い頃の姿があった。母曰く、父はクラスで一番モテていたそうだ。たしかに当時の父はシュッとして男前だった。映画を観に行ったのが2人の初デートだったそうだ。父から母を誘ったのに、周りの女子たちは「どうやってだましたんだ」と母を茶化したという。しかしその映画があまりにも退屈で、母は途中で帰ってしまったらしい。何だそれ。父にとって母は「おもしれ〜女」だったんだなあ。アルバムの巻末に生徒全員の住所が載っていた。母の名前に矢印が引いてあって、「田舎から出てきた野蛮人」と落書きしてあった。高校三年生の父が書いた。げらげら笑って賑やかな通夜だった。

一般焼香にはたくさんの人が来てくれた。新聞のお悔やみで知って…という人も多くて、年代もあるだろうけれど、地域の繋がりみたいなものを強く感じた。親戚、仕事の関係者、父の友達、母の友達、兄の友達、私の友達、幼稚園のときの園長、小学校のときの教頭なども来てくれた。父は友達が多い人だった。園長はゴルフ仲間だったし教頭は釣り仲間だった。決して社交的なわけではないけれど、親しみやすさがあり、もし私が父と同じクラスだったら友達になっていたと思う。母とも兄とも同じクラスだったら友達になっていたと思う。

弔辞は私が書いた。棺に入れるつもりで父に宛てて書いた手紙だったけど、伯母に頼むから読んでくれと懇願されたのを断りきれなくて読んだ。弔辞を読むのはこれで4回目だ。うちの全盛期は8人家族で、この10年間で5人が他界した。

遺影の写真は17年前のものが採用された。さすがに若い。撮られることが嫌いで、ちょうどよい写真がなかったのだそうだ。遺影の背景写真は青い海だった。母と兄が選んだ。奇しくも父の葬儀は「海の日」で、海ゴリ押しのイベントとなった。

私が東京の大学で海の勉強をしたいと言ったとき、一番応援してくれたのは父だった。教師からは「漁師にでもなるのか」とあしらわれ地元の大学を勧められたが、父は「俺が説得してくる」と張り切って面談に向かった。結局前の人がめちゃくちゃ長引いて、父の番はあっさり終了したらしい。海洋関係の仕事に就いて一番喜んでくれたのも父だった。正直今、仕事に対する意欲が地に落ちている時期だけど、もう少し頑張ってみるか…と保留にしている。

 

葬儀が済んでからも毎日ぽつぽつと人が線香をあげに来てくれた。父に家を建ててもらって…という人も一人や二人ではなくて、父は本当に多くのものを残していってくれたのだと感じた。みんながみんな父のことを良い人だったと話すので内心とても誇らしかった。

小学生の頃、家族ぐるみでよく海やキャンプに行っていたグループの人たちともずっと交流が続いていて、父の出棺の際も皆で見送りにきてくれた。母はマイクロバスの一番前の席で遺影を抱え、彼らに向かって手をピンと高く上げて「行ってきます」の合図を送った。気丈に振る舞っていた母だったが、バスが角を曲がるとさめざめと泣いていた。涙の理由について後日母は「みんなまだピンピンしてるのに、なんでお父さんだけ…と思ったら悔しくて」と言っていた。そうか、あれは悔し涙だったのか。

四十九日の法要を終えて、母は近所に住む友達(その方は早くに配偶者を亡くされていた)から「悲しいのはもちろん悲しい。けどそれよりも、つまらないんだよ」と言われて、ものすごく腑に落ちたと言っていた。父が死んで毎日がつまらない。母はそういうことを何の照れもなく、真面目な顔で娘に話せる人なんだな…と思った。最近はKさんとWさん(母の友達)にランチに誘ってもらったり、少しずつ以前の日常に戻ってきたという。母が農家にお手伝いにでも行こうと思ってると話すと、2人も一緒に行く!と言ってくれたそうだ。冬は3人でおしゃべりしながら内職でもしようねと話しているそうで、私はそれを聞いて「岸井ゆきのさんのドラマ(『日曜の夜ぐらいは…』)みたいでいいね」と言った。

 

一方私はというと一人暮らしの生活に戻ってから毎日無気力で、すべて惰性で生きている。地域に根ざして網目状に交友関係を築いてきた父と比べて、自分はあまりに「点」すぎる。そんなの前から知ってたことなのに、改めてその事実を突きつけられた気がして途方に暮れている。今更になって寂しいのかもしれない。だからといってどうしたいとかもないのだけれど、少しでも生活が面白くなるようにやっていくしかないんだろうな。

 

読んだ本とか漫画とか

『スキップとローファー(9)』高松美咲

 

『違国日記(11)』ヤマシタトモコ

読む側のコンディションの問題だけど、完結まで長かったな〜

 

『ひらやすみ(6)』真造圭伍

 

『シュロ2』日日、内海慶一、ぴょんぬりら温田庭子

シュロが日本の風景にどのようにして馴染んでいったのか描いてあって面白かった。

そういう心の中にシュロのある状態で

二本目のシュロに出会った時

人はシュロを発見したといえるのではないでしょうか

 

見た映画とか

『怪物』監督:是枝裕和/脚本:坂元裕二/音楽:坂本龍一

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ラストの解釈については思うところがいろいろあるけれど映画としてよくできてるな〜という構成で純粋に面白かった。校長は完全な悪人でもなければ善人でもない。人の多面性と他者の視点。

 

『aftersun/アフターサン』監督:シャーロット・ウェルズ

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あとから時間差でやっぱりなんかすごかったな〜となった映画。ベランダの父の背中と寝息のシーンが本当によかった。

 

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』

監督:ホアキンドス・サントスジャスティン・K・トンプソン、 ケンプ・パワーズ

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キャラクターたちが自己紹介するとこが一番アガる。

 

『マイ・エレメント』監督:ピーター・ソーン

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移民の話でもあるんだけど自分は結構父と娘の映画として見てしまった。

 

聞いてた音楽とか

 

 

 

さっき母から「父の骨を海に散骨してきた」と連絡があった。火葬のあと、散骨する分の骨をこっそり別で取っておいたのだ。写真には母と兄、Kさん夫妻、ギャルの父ちゃん母ちゃん、父の遺影が写っていた。よく晴れて、良い写真だった。寒くなる前に海に撒いてくるというのは聞いていたけれど、父が死んでもう2ヶ月も経ったんだな。

 

ずっとブログを書けなかったけど、そろそろ自分の中で気持ちを整理しなければいけないと思った。書いて意味があったのかはわからない。私のTwitterはまだ青い鳥のままだ。最近心動かされたことは天竜川ナコンの『縛り旅3』。星野源と若林の『LIGHTHOUSE』は見るかもしれないし見ないかもしれない。直近の楽しみなことはヨエコ(倉橋ヨエコ)の新譜、日プ3、近々友達が遊びに来る予定が数件あること。明日は椅子が届く。