ねているときいがいねむい

ねているとき いがい ねむい

人には人の乳酸菌

私にとっての銀杏BOYZはきっと死ぬまで青春

2017年10月13日(金)、銀杏BOYZ『日本の銀杏好きの集まり』が日本武道館で開催された。

このライブが良かった。めちゃくちゃ良かった。

いろんなライブを見に行く度に「良かった」とか「最高」だとか言っている気がするんだけど、銀杏BOYZの武道館が、人生で一番良いライブだったって、100%の確信を持っているし、もしかしたらこの先素晴らしいライブを見ることがあってこの日の武道館に並ぶことはあったとしても、超えることはきっとないと思う。

私はこのライブを見たことを一生忘れない。それくらい本当に、本当に良かった。

 

会場に集まったのは自分と同世代と思われる30歳前後の、所謂アラサー世代がほとんどで、会社帰りでスーツ姿の人も多く見受けられた。私も当日は仕事を定時で切り上げ、物販に並んでグッズを買い、席に着いたのは開演ギリギリの時刻だった。「日本の銀杏好き」の中にはゴイステ時代からずっと追っかけてきたような熱狂的な信者もいれば、そういえば昔好きだったな~と思い出して久々に足を運んだ人もいただろう。けれど、好きの程度こそ違えど、ここにいる全ての人たちが、銀杏BOYZに何かしらの感情を抱いて武道館に集まってきているのだと思うと、それだけで胸が熱くなった。なんでもかんでも「エモい」という表現で片づけてしまうのはよくないと気を付けてはいるつもりだけど、この感情を表現するのに「エモい」以上しっくりくる言葉がみつからない。だってそうでしょ、こんなのはエモでしかない。

ほとんど定刻にスタートしたライブは、余計な演出が一切なく、開始ド頭から峯田がステージに現れ、マイクを握り、そして歌った。その瞬間からもう、涙が止まらなかった。自分が泣くこと自体は予想できていた。銀杏、武道館で見たら泣くんだろうな~って、始まる前から準備はできていたはずだった。でもまさか、こんな始まってすぐに、あ、これは泣く。って。1曲目『エンジェルベイビー』は3ヶ月連続リリースの第1弾として今年7月に発表されたシングルで、正直そんなに思い入れもない曲だった。大事なのはそういうことじゃない。峯田がいる。峯田が武道館のステージで歌っている。それだけだ。ただそれだけで、開始からアンコールが終わるまで、ずっと涙が溢れて止まらなかった。喉がグッと詰まって鼻の奥がツンとした。隣にいる女性も泣いていたし、斜め前にいた男性も泣いていた。武道館中に、泣いてる人がいっぱいいた。信者かよって、多分そうじゃない。銀杏BOYZにとっての10年は、峯田にとっての10年で、会場に集まった人それぞれの10年だったんだと思う。終演後、武道館を出たら女の人が「なんかここ10年くらいの記憶が蘇ってきて泣いちゃった」って言っていた。そういうことなんだと思う。私もこの10年間くらいの思い出が一気にフラッシュバックして、高校時代にタイムスリップしたかのような感覚に陥った。人をそうさせるスイッチが、銀杏BOYZの音楽にはあるんだと思う。

 

自分の話をする。銀杏BOYZとの出会いは私が高校生の頃で、めちゃくちゃかっこよくて憧れだった先輩の影響で聴くようになった。憧れの先輩といっても女子校だったので、これは淡い初恋などの話ではない。 過去形で書いてしまったが、私は今でも先輩のことをめちゃくちゃ尊敬している。高校を卒業してからは先輩と会ったことがないし、大学卒業後は先輩がどこで何をしているのかもわからない。噂も聞かないしFacebookもやっていない。それでも私は未だに、先輩のことを世界で一番尊敬している。

先輩はバレー部の1個上だった。私は小学校からバレーをはじめて、中学、高校もずっとバレー部だった。小学校の頃、私が所属していたチームは設立から年数が浅く、土台も伝統もないようなチームだったが、毎週のように県内随一の強豪校に練習試合に行っていた。ほとんど毎週行って、何百試合も挑んで、1勝すらできなかった。そのチームのエースが先輩だった。中学に上がっても先輩の中学は全国大会の常連校で、私たちはいつも準決勝で先輩の中学に負け、万年3位という結果に終わっていた。

先輩は天才的にバレーが上手かった。当然、県外の高校からも推薦のお声がかかっていたはずだった。なのに先輩は進学先として県立の、バレー部あるの?一応あるにはあるっぽい、というレベルの進学校を選んだ。その一年後に私は先輩と同じ高校に進学し、晴れて先輩と同じチームでバレーができるようになった。

実際に同じチームになってからも、先輩は私にとってのレジェンドだった。間近で見る先輩はやっぱりバレーがめちゃくちゃ上手かった。才能だけでなくめちゃくちゃ努力する人だったし、技術だけでなくめちゃくちゃ頭を使ってプレーする人だということもわかった。それでいてユーモアがあり、誰に対してもフラットで、チームメイトみんなから慕われる存在だった。

バレーだけじゃなく先輩は歌もめちゃくちゃ上手かった。高1の夏合宿、4人1組の班で風呂掃除の当番を回していて、先輩と私は同じ班だった。浴槽を洗いながら先輩ともう一人の先輩がハモりながら歌っていたのが銀杏BOYZGOING STEADY)だった。とても澄んだ歌声でアコースティック調にアレンジされた『BABY BABY』と『愛しておくれ』と『もしも君が泣くならば』と『青春時代』。それを聴いて「銀杏BOYZめっちゃ良いな〜!」と思った私はV&C(今はもう潰れてしまったレンタル屋)に行き銀杏とゴイステのCDを片っ端から借りてきた。

再生ボタンを押して「は?」ってなった。「間違えたかな?」って思った。先輩が歌う銀杏はもっと綺麗だった。それに比べてなんだこのへったくそな歌は!!!なんだこのクソみたいな歌詞は!!!!演奏もきったなくてノイズが酷くてなんだよこれ!!!!って、憤慨した。そして同時に雷に打たれたような衝撃を受けた。こんな音楽があるんだって。先輩はこういう音楽が好きなのかって。それからはチャリで登校するときも図書館で勉強するときも、イヤフォンをして銀杏BOYZを聴きまくった。

 

これが私が銀杏BOYZを好きになったきっかけの話。

先輩の伝説的なエピソードはいっぱいあって、先輩が考え出した練習法とか先輩に言われた印象に残っている言葉とか先輩の引退試合の姿とか、そういうの全部覚えているんだけど、それをここに書くのには私の文章力が足りないというか、そんな薄っぺらい言葉で表現するのは先輩に失礼だみたいな思いがあるので省略する。とにかく私は先輩のことを心底尊敬していて、大学受験や就職といった節目節目の岐路に立ったとき、いつも「先輩だったらどういう選択をするだろう」ということを考えてきた。先輩が今どんな大人になっているのかはわからないけれど、”現在の先輩”ではなく”あの頃の先輩”の背中を、私は今も、これから先も、一生かけて追い続けていくんだろうなぁと思う。

 

現在の話をする。3ヶ月ほど前からボクシングを始めた。先週やっと会長からマスの許可がおりて、ジムの人に相手してもらったんだけど、もう全然だめで、なんでこんなにできないんだろうってものすごく悔しくて、こんなに悔しい思いするのはいつぶりだろうって考えたら、高校生ぶりだってことに気が付いた。必死になって部活に打ち込んで、お弁当早弁して昼休みになったら筋トレルーム通ったり、練習後に残って自主練してたら先輩が一緒に付き合ってくれたのが嬉しかったり、もしかしたらその頃の気持ちに戻りたくて、今ボクシングをやっているのかもしれない。

 

 

そんなことを思いながら武道館で歌う峯田を見ていた。

思いのほか自分の話が長くなってしまった。

峯田はMCで

「生まれてきてよかったって思ったことは一度もありません。でも生きててよかったって思う日はある。たとえば今日。」

「明日からまたくっだらなくてしょうもねぇ毎日が続くけど、たまにこういう日があるから。生きてまたみんなで会いましょう。」

確かこんな感じのことを言っていた。”銀杏BOYZの音楽そのもの”も好きだけど、この人が吐き出す言葉や人柄や生き様が、めちゃくちゃ好きだし最高にカッケーなって思った。

峯田は「40歳になっても満たされない」って言ってたけど、私が満たされる日は来るのだろうか。28歳になった今でも、愛だの恋だのそういう類のことは何一つわからない。それでも私は私の人生を諦めたくないし、責任持って楽しいものにしたい。部活と勉強しかしてこなかった高校生だった私に、ひたすらくすぶり続ける大学生だった私に、なんだかんだおまえは大丈夫だよって、伝えたい。

 

香ばしいことはなるべく書かないって、そう決めてはじめたブログなのに、後から読み返したら消えたくなるようなキモい文章を書いてしまった。銀杏BOYZの武道館を見て、高校生の頃に戻った感覚で書いた文章なので、どうか今回限りは許してほしい。

 

 

 

君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命

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