ねているときいがいねむい

ねているとき いがい ねむい

人には人の乳酸菌

自分が人生の主人公になることなんて一生ないと思ってた

私事で恐縮ですが、29歳彼氏いない歴イコール年齢処女、ボクシングのプロテストに合格し、プロボクサーになりました。

 

このことをブログに書いて良いものか迷っている。迷っていると言いながら書いている。書きたいことを書きたいように書いているこのブログを「アラサー処女のしんどいブログ」にも「プロボクサーのスポ根ブログ」にもしたくないからだ。プロテスト合格を目標に毎日練習してきたけれど、それが達成された今、このネタをどう調理して良いのかわからない。

いきなり黄金伝説無人島生活で、よゐこ濱口優はモリで突いた魚を「獲ったどー!」と叫び高々と掲げて見せる。しかし次のシーンでは「油へポーン」と言いながら、その新鮮な魚を中華鍋へと放り込んでしまう。派手に炎が上がる。完成するのは決して美味しそうには見えない雑な素揚げ。

今の状況はまさにそんな感じ。例え話が致命的に下手。要するに多分私はこのネタを100%の鮮度を保って文章にすることはできないし、面白おかしく脚色することもできない。だけどなんというか、書きたいことがあるうちに、書いてしまった方が良いような気がしている。だいぶ気力を消耗する作業になるとは思うけど。

 

前置きが長くなってしまった。ボクシングをしていると言うと、よく聞かれるのが「なんでボクシング始めたの?」という質問で、大体いつも「インテリヤクザになりたくて」とか「自分自身に勝ちたくて」とか、ふざけた回答でお茶を濁してきた。少しかしこまった場では「もともと格闘技に興味があって」と当たり障りのない回答をしてきたが、昔から格闘技には興味がなかった。大晦日にはプライドやK-1ではなく、紅白かガキ使を見て育った人間だ。

 

27歳は私にとってターニングポイントとなる年だった。

27歳の秋、はじめて人に告白してフラれた。第三者から「それ詰んでるよ」と指摘されるまでフラれたことにすら気付かなかった。飲み会で「27歳にもなって告白するな」「お前のそれは告白じゃなくてプレゼンだ」とネタにされてゲラゲラ笑った。

27歳の冬、クリスマスに一人香港へ飛び、重慶大厦(「悪の巣窟」として名高い安宿の複合ビル)に宿泊した。部屋は狭く、シャワーからは水しか出なかった。取り付けられたエアコンは温度調節が効かず、診察台のようなベッドの上で奥歯をガタガタ震わせながら眠りに就いた。

27歳最終週の夏、初対面の人にファーストキスを奪われた。初恋の味はレモンの味とよく聞くが、27歳のファーストキスはラムコークの味がした。なんだそれ、村上春樹の小説か。とか言って、そういえば村上春樹は小説よりもエッセイの方が面白い。『走ることについて語るときに僕の語ること』は、タイトルからして春樹アレルギーを発症しそうになるけれど、この本を読む限り村上春樹はめちゃくちゃストイックなランナーで、走りながらいろんなことを考えている。レビュー(走ることについて語るときに僕の語ること(文春文庫))を読むだけでも村上春樹に対する見方が変わると思う。走ることについて、挑戦することについて、継続することについて、骨太な思想に基づいて語られた哲学書的な一冊です。

 

話が逸れた。戻ります。ファーストキスはラムコークの味がした。これは余韻とか概念の意味ではなくて、実体験に基づくレビューである。詳しいことは後で書く。

倖田來未の「ババアの羊水腐ってる」発言ではないけれど、27歳のファーストキスに価値などない。賞味期限はとっくに切れている。それは重々承知である。ファーストキスを「奪われた」と表現することすらおこがましい。ドブに捨てたも同然だ。

初対面の男と初めて対面したのは、男女複数人での飲み会だった。俗に言う合コンである。こう書くと「なんだ、合コンに行く程度には遊んでるんじゃないか」と思われてしまうかもしれないが、違うんだ。聞いてくれ。これは訓練の成果なんだ。修業の賜物なんだ。『怪獣のバラード』の「海が見たい 人を愛したい 怪獣にも望みはあるのさ」の部分に共感して泣いてしまうような女だぞ。自己肯定感が極めて低い当時の私は、合コンに対して得体の知れない恐怖心を抱いていた。

いつかのブログに書いたけど、職場の人たちとの飲み会で、どうすれば私に彼氏ができるのかという話題になったとき「髪伸ばせ!スカート履け!話はそれからだ!」と助言(煽り)をくれた先輩に「私が髪を伸ばしてスカート履いたところで…」等うだうだ講釈垂れてると、「自分が自分でなくなる気がするって?そんな自分捨てちまえ!」と喝を入れられた。ぎゃーーーん!!!雷に打たれたような衝撃だった。

とりあえずできることからしてみよう。そう思って合コン街コン婚活パーティーかれこれ30回は出会いの場に足を運んだ。髪を伸ばし、スカートも履いた。女っぽい格好さえしていればそれなりに女っぽく見えるということがわかり、それがわかっただけでも大きな成果ではあった。

いざ合コンに行ってみると参加者は皆、意外と「普通」な人が多かった。もっと勝手なイメージで、カースト上位者(社会人にもなってカーストの概念に縛られるのはアホらしいからやめた方が良い。と今は思う)しか参加を許されないものかと思っていた。合コンに対するハードルは徐々に下がってはいったものの、そこから恋愛に発展することは一度もなかった。

 

神様が地球上のあらゆる生物に対して「はい、じゃあ今から2人組つくって」と号令をかけたとき、最後の最後に残るのは私かもしれない。ミミズだってオケラだってアメンボだって、みんな次々に2人組をつくっていく。ぽつんと1人立ちすくむのは地球上でただ1人、私だ。こういうことを割と本気で考える。

映画『リメンバー・ミー』で一番心に残ったのは、無縁仏となったチチャロンが「二度目の死」を遂げるシーンだった。生涯孤独のまま現世を終えた者は、あの世でもまた殺されなければならないのか。家族の絆を描いたハートウォーミングストーリーに「孤独死の末路」という残酷な現実を突き付けられた気がした。

「就活とお見合いは似ている」とよく聞くが、全くその通りだと思う。私は就活も恋愛もうまくいかなかった。そのくせ病んだりもしなかった。「まあいいや」「なんとかなる」の精神で、ヘラヘラしながらやり過ごしてきた。本当は、誰からも求められていない自分と正面から向き合うことができなかったのだ。最終的に「好きでもない人と会うのは時間とお金の無駄」と開き直り、数撃ちゃ当たるわけでもないという結論に辿り着いた。

 

話が脱線しまくっている。戻ります。

あの日、私はカラオケボックスのトイレにいて、熱心に介抱活動に取り組んでいた。介抱活動(今つくった言葉)とはなんぞやという感じではあるが、初対面の男たちとの二次会中、便座を抱えるようにして座り込む友達の背中をさすり、水を飲ませてゲロを吐かせた。

出入りする女の人に(あちゃー)という反応をされる度「すみません、本当にすみません」と謝ると、友達まで「ごめんね、本当にごめん」と私に謝るので「いいから、もう一口水飲んで」というようなやりとりをしながら、介抱活動は1時間近くに及んだ。

途中、合コンに参加していた別の友達に「大丈夫?」と聞かれ「大丈夫じゃないかも」と答えると、「こっちも大丈夫じゃないかも」と言われたことが引っかかってはいたけれど、その場においては介抱活動が最優先だった。酔い潰れた友達に「もう帰ろうか」と聞くと「一人で帰る!◯◯に帰る!」と言うので、◯◯(友達の家の最寄駅)はここから相当遠いぞ…と思いながらも友達の肩とカバンを抱えて外へ出て、行き先の住所を画面にメモした携帯と一万円札を握らせてタクシーまで送り届けた。

カラオケに戻ると、さっきの「こっちも大丈夫じゃない」の意味を理解した。性が入り乱れていた。なるほどですね。オーケーGoogle、カラオケ、乱痴気、ストレス発散できる曲。

一次会で飲んだ酒も抜け、すっかりシラフになっていた私は周囲に構わず曲を入れ、一人でヒップホップ縛りを開催した。ジブさんのモノマネをしたら喉が潰れて声が枯れた。終盤はレパートリーも底をつき、ティキソーソー ティキティキソーソー(A・RA・SHI)もラップ曲としてカウントした。

一人だけうるさかったんだと思う。突然、初対面の男に「全然飲んでないじゃん」とラムコークを口移しされた。生ぬるくて不味いラムコークをうぇ〜ってなりながら飲み込んで、待ってこれ、ファーストキス。最悪だ。あーあ。私の人生終わったな。

「全然飲んでない」と言われたが、むしろめちゃめちゃ飲んでいた。酒は飲んでも飲まれるな。私は酒にアホほど強い。誰が頼んだか知らないがラムコークはピッチャーで3つもドンと並んでいて、私はそれを「消費しないともったいない」の精神で手酌で注いでグイグイ飲んだ。

その後のことは詳しく書かない。自業自得だと思うから。最後まではやってない。好きな人じゃなきゃ無理なんだ。そんなんだから処女なんだ。

 

被害者面しようと思えばいくらでもできた思う。ただ、それだけはしたくなかった。というよりも、できなかった。自分にそれだけの価値があるとは思えなかったから。本腰を入れて泣いたり怒ったりすることができず、思考することを停止した。

そんなことよりもずっと心配なことがあった。タクシーで帰ったはずの友達から返信がない。LINEを送っても既読がつかず、何度電話しても出ないのだ。無事に家まで帰れたのだろうか。あんな状態で一人にするんじゃなかった。急性アル中で緊急搬送でもされていたらどうしよう。どうしようじゃ済まされない。嫌な予感ばかりが頭をかすめる。

不安な土日を過ごし、週明けになってようやく連絡がついた。友達は携帯を紛失していたらしく、さっきショップで復旧させてきたとのことだった。はぁ〜〜〜良かった!無事だった!心の底から安堵した。めちゃめちゃ心配したんだぞ!通勤中も冷や汗が止まらないし、立ちくらみがして一旦降りたりしたんだぞ!

ともかく無事で本当に良かった。男一瞬、ダチ一生。突如騒ぎ出すギャル魂。

 

そんなことがあった次の週、音楽フェスでMOROHAの『革命』を聞いた。フルじゃなくて、リハで披露した冒頭の部分だけだったけれど、まるで頭をぶん殴られたような衝撃だった。リリック一言一句を聞き逃さないようにと集中力をフルにして耳を傾けた。

乾杯!誕生日おめでとう

いや〜しかしあっという間だよな 俺たち今年26だぜ

いや〜しかしこの前の飲み会もめちゃめちゃ盛り上がったよな

あいつ目覚めたら逗子にいたらしいぜ 笑えるよな

いや〜俺たちほんと幸せもんだよ

でかい夢があって それを語り合える友達がいて

女はいないけど 酒は美味いし 悪くない

悪くない…とは思うんだ

けどさ 全然大した話じゃないんだけど 俺お前に言わなくちゃいけないことあるんだよね

そういやさ 飲み会の帰り道突如やってくるあの虚しさ あれなんだろうね

あれヤバくね?胸痛くね?

…ごめん、どうでもいいか 

いや、話っつーのは

気付くと私は泣いていた。28歳の誕生日のことだった。

 

ボクシングジムの門を叩いたのはそれから約1ヶ月後のこと。通勤経路にあるジムをネットで調べ、体験に行ったその日に入会を決めた。

会長から目標を聞かれ「ライセンスを取りたい」と答えると、「プロテストを受けるなら最低1年は毎日来ないと」と言われた。そのときはまだふわっとした覚悟しかなかったけれど、翌日からプロテストまでの約1年半、行ける日は毎日ジムに通った。ToDoアプリでチェックしていた記録で通算417日。経過日数ではなく、ジムに行って練習を重ねた日数だ。こればかりは自分で自分を褒めてあげたい。よく行った。

今日は行きたくないな…と思いながら行った日はなくて、どちらかというと行けない日の方がストレスだった。この歳になってまた打ち込める対象ができたことが嬉しかったし、出来なかったことが出来るようになっていく過程も楽しかった。動機はあくまで動機でしかなくて、誰かを見返してやりたいという気持ちもなかった。というか他人のためにそこまで頑張れない。ただ純粋に趣味として、ボクシングが面白くなっていた。

 

女子がプロテストを受けるには受験30日以内の妊娠反応検査が必要で、医師に診断書を書いてもらうのに10,800円支払った。問診票を見た医師に「性交渉の経験、ないんだ?」「ないんだ?」「…ないんだ?」と3回も確認された。脳内ではアンガールズ田中が長い手足をバタバタさせながら(3回目〜〜!!!)と叫んでいる。何度聞かれても「はい」としか。診断書が必要な理由もちゃんと説明したのにな。「えっ、えっ、えっ…」じゃないんだよ。産婦人科の医師ならば「妊娠反応検査を受けたがる処女」よりも、もっとアブノーマルな性病患者を今までたくさん診てきただろう。

これはあとから知った話だが、指定の病院で受けていれば1,300円で済んだらしい。要はぼったくられたのだ。処女だからってナメられ過ぎではないですか。

 

プロテストの1〜2ヶ月前は特に仕事が忙しく、毎日21時過ぎにジムに着き、ストレッチが済んだらノンストップでトレーナーに練習をみてもらった。練習後はランニングして、帰ったら洗濯してシャワーを浴びて、明日の支度をしたら泥のように眠る毎日だった。

その時期仕事が忙しくなることは事前にわかっていたことだから、もっと早い時期にテストを受けておきたかったのだけれど、会長が申込書を送るのを忘れていたらしく「おいおいジジイ、しっかりしてくれよ」と思ったが、その後会長が入院したと聞いて、別の意味でも「おいおいジジイ、しっかりしてくれよ」ではあった。

 

プロテストに合格したからといって、これまでの生活が劇的に変化したわけではない。良くも悪くも現状維持だ。

ボクシングを始める前の私は、人生に飽きていた。大体のことはもうやり尽くした気がしていて、完全に手詰まりだった。人生どうでも飯田橋。どうでもよくなってからが人生だ。

合格してもなお「応援してくれる彼氏はいないのか」「脂肪が筋肉に変わっただけ」「会うたび髪が短くなっていく」などと言われることもある。そうですね〜って笑うしかないけれど、冗談で言われたことは冗談として受け流さなければやってられない。

人の価値観は人それぞれだと思うから、自分にとってはすごく大切なこの経験も、他人から見て「それが何だ」と言われるネタだということもわかる。例えば毎日仕事帰りにボクシングに励む私(29歳処女)と、毎日家族のために家事をこなす主婦(29歳2児の母)がいて、どっちが偉くてどっちが幸せか。あるいはボクシング1ラウンドの3分間と、マッチングアプリをスワイプする3分間。どっちが将来自分にとって効率的な投資となるか。恐らくそういう重みは同じ天秤にかけれない。自分は自分、他人は他人。人には人の乳酸菌。

 

 

随分冗長な自分語りをしてしまった。こういう類の独白にありがちなのが、「なんだかんだありましたが、今は結婚して幸せです!」みたいな近況報告で、最後の最後で読み手を壮大に裏切るというオチをしばしば見せられてきたところではあるんだけれど、ちょっと自分も近況報告、いいっすか、

好きな人に告白してフラれてきました。

27歳にもなって告白するなと言われたのに、29歳にもなって告白しちゃったな。返答は「(友達のまま)現状維持がベスト」で、現状維持!それがベストなのは私もそう!だったら死ぬまで維持しよう!!!喉まで出かかったけど、そこまで言うのは重いよなって、全部は伝えきれなかった。

好きな人のことは今もめちゃめちゃ好きだから多分ずっとめちゃめちゃ好きなんだろうなとは思う。だからまだネタにできるほど消化できてない。というわけでこの話は終了。

 

 

2018年のはじめ、友達と初詣の列に並んでる間「最強運ランキング」を調べて時間を潰した。2018年の私の運勢は、576位中576位。堂々の最下位だった。友達の友達という形で好きな人と知り合った2018年、プロテストに合格したのも2018年。振り返ってみれば最高に充実した1年だった。占いも神様も死後の世界も、信じる必要なんてなかったんだ。

さっきたまたま最近どう?と電話をくれた人に、フラれちゃいましたと話したら「自分だけではコントロールできないことがあると知れたのは、きっとあなたの厚みになるよ」という言葉をもらい、ギュンて圧迫されてた感情が少し緩んだような気がする。ああでもやっぱ、辛いなあ。立ち直るにはもう少し時間が要りそうだ。「信じれるのは自分だけ」なんて言わないから、いろんなものや人の良いところだけを信じて明日からまた生きていこう。

電話口で大丈夫?と聞かれたから大丈夫です。と答えた。大丈夫。だってまだ、私の人生こんなに面白い。