ねているときいがいねむい

ねているとき いがい ねむい

人には人の乳酸菌

2019年12月のこと

年末年始は実家で過ごした。帰省のたびに肌が荒れるので冗談のつもりで「東京人だから田舎の水が肌に合わない」と言ったところ、父に「異常人」とだけ返された。異常人。仮にも実の娘だぞ。

 

今月のガチンコファイトクラブ

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12月はとにかくいろいろあった。試合が決まって、辞退することになって、ジムに多大な迷惑をかけた。ボクシングをとるか、仕事をとるか、悩みに悩んで最終的に仕事をとった。

プロテスト合格後、次の目標が「試合に出ること」になったのは私にとって極自然な流れだった。2019年はデビュー戦に向けての1年間であったといっても過言ではなかったが、昨年9月にあった見極めテストでは試合に出るには実力不足・時期尚早と判断され不合格となっていた。しかし私の「試合に出たい」という思いを汲んでくれたマネージャーが、いろんなジムをあたって対戦相手を探してきてくれて、やっと決まった一戦を、よもや蹴ることになったのだからジム側が激怒するのは当然で、言い訳もなくただただ精一杯の誠意をもって頭を下げることしかできなかった。

試合が決まった3日後の金曜に、職場で来年のスケジュールが発表され、試合の日と長期出張がドンピシャでバッティングしてしまった。土日の間に考えて月曜には回答を出さなければいけない状況で、自分の中では仕事もボクシングも50:50で大事なことだからどっちをとるか本当に悩んだ。どっちをとったとしても職場かジムのどちらかに多大な迷惑をかけることは容易に想像できた。天秤の針が行ったり来たりする中で考えて考えて下した決断だった。

月曜日、職場には「出張に行きます」と、ジムには「試合を辞退させてください」と申し出た。トレーナーは「お前が決めた事なら俺は誰に文句言われようが応援するから」とLINEをくれ、ファミレスで相談に乗ってくれた。会長からは厳しくも温かい言葉をかけていただき、絶対泣くなと言われたのに少しだけ泣いてしまった。一番迷惑をかけたマネージャーにもすぐに電話して「直接会って謝罪する時間をいただけないでしょうか」と伺うと「25日の夜なら」ということで、25日まではジムに行くのを自粛することにした。顔を出すのが気まずいというよりもそれが筋というかけじめだと思った。

自粛期間中は家に帰っても時間の使い方がわからず、ただテレビをつけてぼーっとしていた。特にすることがないし自炊する気力も起きない。

24日の夜、友達と餃子の王将に行った。「お詫びの品としてシャインマスカットか生ハム、どっちが正解か迷っている」と相談したところ「落ち込んでるだろうなぁと思って心配してたのに、そんなこと悩んでたの?」と笑われて、そこではじめて自分の滑稽さに気付いてなんだか可笑しくなってしまった。急に肩の力が抜けたような気がした。友達に提案されたお詫びの品は「ブッシュドノエル」だった。

25日、職場の人たちに「今日もボクシング?」と聞かれたので、お詫びの品について意見を伺ったところ「「そんなもん受け取らねぇ!」って投げ返されたらどうする?」と言われたので「そこはシュッてかわします」「流石ボクサー」「シャインマスカットはちょっと時期外れだから柿にしたら?」「柿ですか?牡蠣ですか?」「蟹は?」「蟹は投げられたら痛いですね」というような会話をしているうちに、いつの間にか笑ってしまっていた。

ジムに対して申し訳ないという気持ちは勿論あって、それはもう夜も眠れないほど悩み、胃が痛むほど反省した。だけど四六時中落ち込んでいたかというとそうではなかった。自粛期間中も当然仕事には行くし、友達とも遊ぶし、面白いことがあれば笑ってしまう。人間とはそういうものなのではないだろうか。昨年秋に観た舞台『明日のアー』のコントを思い出した。親族が亡くなって火葬場でむせび泣く遺族たちが唯一、職員が喉仏の説明をしているときだけは「ほぉ〜」となって話を聞くというあるあるを笑いに昇華させる一幕があった。上手く表現できないけれど、それと似ていると思った。真剣に取り組むことの副産物としての「滑稽さ」の話。

仕事とプロボクサーの両立を甘く見ていたことは無茶苦茶反省した。ただそこで私が無茶苦茶に病んでしまうのは多分誰にとっても何の意味もない。

迎えた25日の夜。マネージャーには実質一番迷惑をかけたので何を言われても受け入れる覚悟でジムに行った。言いたいことは相当あったと思うけれど、普段とあまり変わらない口調で要点だけをいくつか伝えられて今回の一件は収束した。お詫びの品は結局ハムにした。デパ地下で売られていたクリスマスギフトの詰め合わせをマネージャーとトレーナーにそれぞれ渡した。せめてもの償いとしての詫びハムだった。

ジムの人たちの寛大さには本当に救われた。これは真面目なフィードバックになるが、自分も他人の失敗や過ちに対して寛容な心で受け入れられる人でありたいと思った。人に迷惑をかけた側の人間が言えたことではないかもしれないけれど、やっぱり誰だって失敗してしまうことはある。これからいろんな経験をしながら自分のキャパを広げていきたい。それと、どちらを取るか考える余地を与えてくれた職場の人たちにも感謝したい。真面目なフィードバック終わり。

仕事をとったことで周りの人からは「本当に良いの?」という反応をされることが多かったが、私にとっては仕事もボクシングもどちらも同じくらい大事なことなのだと再認識できたので良かったと思う。全部の決着がついてから母に電話した。母は当然「仕事をとって正解だったよ」と言うものかと思っていた。というか本当は誰かに肯定してもらいたかったのかもしれない。ところが母から返ってきたのは「仕事もボクシングも良いけど一番大事なのはあなたの身体だからな」という言葉だった。いくつになっても子供は子供とはよくいうが、子供の私からすればいくつになっても母は母だった。

今の正直な気持ちとしては、またジムに通えるようになったことが素直に嬉しい。プロライセンスも更新できた。やっぱり私はボクシングとジムの人たちが好きだなぁと思った。熱苦しくなってきたのでこの辺でまとめに入ります。12月も友達とたくさん遊んだ。話聞いてくれてありがとう!音楽とか本の話は来月まとめて書く。2019年は何かと踏んだり蹴ったりな1年だったけど良いこともあるにはあったし、長い人生そういう年もたまにはあるよねってことで切り替えて、2020年の目標は新年度になったら考える。